2015年11月より続く本コラム、これまでダンボールに関する情報をたくさん発信してきました。ですがここで一度、ダンボールの歴史について振り返ってみたいと思います。
私たちにとって身近な存在のダンボール、どこでどのようにして誕生したのでしょうか。そして、日本でダンボールが普及していったのは、いつの時代だったのでしょうか。
原点回帰ということで、一からダンボールの歴史をたどっていきます。
1.ダンボール誕生は19世紀英国
1-1.シルクハットの汗止め
1-2.米国で緩衝材として使用
2.ダンボール箱が新登場!
2-1.米国銀行で小口貨物輸送に使用
2-2.機械を導入し製造
3.日本製「段ボール(ダンボール)」
3-1.ボール紙に段を付ける
3-2.木箱からダンボールへ
3-3.終戦と復興
4.ダンボール接着剤の変遷
4-1.でん粉から水ガラスへ
4-2.小麦粉からコーンスターチへ
4-3.スタインホール法の定着
5.ダンボールが進化を遂げる!
5-1.包装改革による競争
5-2.エコ重視のダンボール
5-3.災害現場で活用
6.まとめ
ダンボールの原料はご存じのように「紙」。紙の歴史を振り返れば、草茎を用いたパピルスや羊の皮を用いた羊皮紙を経て、紀元前2世紀頃に製紙が行われたとされています。ではダンボールはと言うと、それから二千年以降先となる19世紀の中頃。つまりダンボールが誕生して、まだ百数十年しか経っていないのです。
ダンボールは最初から箱として誕生したのではありません。何と紳士がかぶるシルクハットの内側に取り付けられていたのです。その特許を19世紀中頃である1856年に取得したのは英国のE.C.ヒアリー氏・E.E.アレン氏。黒い色やシルクハットの形状から見ても通気性があまり良くないものがあり、長時間かぶっていると頭が蒸れてしまいます。そこでシルクハットの内側に、裏打ち材として「しわ付き紙」を取り付けることで、汗を吸い取ってくれるとともにクッションとなってかぶりやすくなります。
以前本コラムで「梅雨期のジメジメにサヨナラ…湿気対策にダンボールが役立ちます(2016年5月)」という記事をご紹介しましたが、押し入れに入っているダンボールが除湿の効果を発揮することがありますので、シルクハットの汗止めとして使われたことにも納得できます。
時代は少し進んで1871年、米国ではA.L.ジョーンズ氏が紙に段を付けたものを特許として取得しました。こちらではシルクハットの裏打ち材としてではなく、ガラスを覆う緩衝材として用いられました。たとえば、石油ランプのホヤ(中央部の筒状ガラス)やガラス瓶などに使います。藁やおがくず、カンナ屑に代わり輸送する際に段をつけた紙で緩衝材としたのです。
ところが、そのまま使用し続けると徐々に段がつぶれてしまい、緩衝材としての役割を果たさなくなります。輸送中にそれでは困りますので、O.ロング氏が段の片側にライナ(ライナー)と呼ばれる厚紙を貼ることを思いつき、特許を取得しました。当時は手作業でライナに糊を塗り、段を付けた紙を貼り付けていたそうです。
皆さんにとってダンボールと言えば、箱の形状をイメージすることでしょう。現在ではダンボール箱として各地で活躍をしています。段を付けた紙を箱として使うことを考えたのは19世紀末のこと。まず米国のR.H.トンプソン氏が、片側だけでなく両側に厚紙を貼る両面ダンボールを考案し、特許を取得しました。この両面ダンボールから箱形状を仕立てたのです。
19世紀末に米国のウェルズ・ファーゴ銀行が、外装用としてですが小口貨物輸送にダンボール箱を導入しました。20世紀初頭には、米国の海上輸送資材として利用され穀物などが運ばれます。このようにして米国では商業用の包装資材として用いられるようになったのです。
ダンボール箱が普及するには、機械を導入して大量生産していかなければなりません。糊付けの貼合機やプレスロール機、キャタピラーで段の付いた紙とライナを合体させる両面ダンボール製造機などが次々と考案されていきました。現在のダンボール製造マシーン中枢となる構造の原型(コルゲータ)も誕生しています。
それでは、いよいよ日本のダンボールの歴史を見ていきましょう。日本では20世紀初頭である1909年に、井上貞治郎氏が綿繰り機をもとにして、ボール紙に段を付ける機械を考案しました。
ボール紙とは藁パルプを用いており、子どもたちが遊ぶメンコにも使われました。ボール紙に段を付けたということで「段ボール」という名になったのです。ちなみに現在のダンボールは、ボール紙ではなく主にリサイクルされた古紙が使われています。
レトロな映画などで、果物が木箱におさめられているのを見たことはありませんか?かつてはダンボール箱ではなく木箱が輸送用に使われていました。しかし、木材なので重量感があり、中身よりも木箱の方が重いということも。また釘を使って木材同士を留めているため、解体するのがとても困難です。使用後も木箱は畳むことができないことから、場所を取ってしまうというデメリットがあります。重さを比べるとサイズによりますが、ダンボール箱は木箱の3分の1に満たないことも。
その結果、第一次世界大戦後の好景気や関東大震災後の復興期などにおいて、木箱からダンボール箱への転換が進められました。当初は電球や化粧品など小物の輸送がメインでしたが、ダンボールの高い強度が認知されるとともに、缶詰や陶磁器など重い荷物もダンボールで梱包するようになったのです。
第二次世界大戦を迎えたことで、ダンボール製造工場は大きな打撃を受けました。しかし、戦後の日本における経済の急成長は皆さんの知るところであり、多くの商品がダンボールに入れられて日本各地を輸送されるようになったのです。
また、自然保護の声が高まり新たな木材伐採がしにくくなったため、木箱は用いられることが減りダンボール普及の流れは加速していきました。第三次吉田茂内閣で、木箱包装をダンボールへ切り替えると閣議決定したほどです。
ダンボールは、ライナと呼ばれる厚紙と厚紙の間に段の付いた紙が挟んであります。これを貼り合わせるには糊が必要。1874年にO.ロング氏が片面ダンボールの特許を取得した際も、でん粉を5~8%の濃度に煮て糊を作っています。その後、時代の変化とともに色々な糊素材が用いられてきました。
当初はでん粉を煮て作られた糊ですが、20世紀初頭には水ガラスと呼ばれるケイ酸ナトリウムが使われ始めます。ケイ酸ナトリウムを水に溶かし加熱することで、水飴のような粘性を持ちます。ところが、湿度の変化等により水ガラスがライナへ浮き出てしまう現象が発生し、商業用のダンボールとして利用しにくくなりました。そのため、徐々にでん粉へと回帰していったのです。
スタインホール法とは、加熱済みのでん粉と生でん粉を混合して糊にする方法。当初、アメリカで導入され戦後には日本でもこの方法が採用されるようになりました。スタインホール法の特性としては、機械を用いて高速で貼合しても剥がれにくいことであり、そのまま乾燥段階へ移ることができます。その後もヘンリープラット製糊装置など、様々な貼合法が開発されています。ちなみに、スタインホール法の特許権は1963年に失効しました。
現在のダンボールを見てみると、通常の茶色いシンプルなダンボールだけでなく、白くて綺麗な美粧箱や強化ダンボール、そして撥水加工が施されるなど様々な進化を遂げています。形状も多岐に渡りますので、以前本コラムでご紹介しました「業種別にみるダンボールのタイプと特徴(2018年7月)」や「ダンボールもここまで進化!耐水性の高いダンボール(2017年4月)」などをご覧いただければと思います。
1964年の東京オリンピック開催や高度経済成長期には、ダンボールの生産量が大幅に増加しました。商品が多様化すると、合わせるようにしてダンボールの種類や形状も増えていったのです。次々と実用化されるダンボールのアイデア、これらを「包装革命」と呼ぶことがあります。
ダンボールはリサイクルの優等生であり、新しい木材から作られるのではなくリサイクルした古紙から製造されます。エコが重視される現代だからこそ、こういったリサイクルシステムが確立されているダンボールは時代に合った包装品であると言えるでしょう。ダンボールの表面に印字されるインクなども、地球に優しいものが採用されるようになりました。つまり、ダンボールはエコを体現する素晴らしいものなのです。
近年では豪雨による水害や地震など、日本各地で災害が発生しています。その際に支援品をダンボールへ入れて被災地へ送るという使い方だけでなく、避難所においてダンボールを使ったベッドを導入する自治体も増えてきました。ダンボールは軽量であり解体もしやすいので、ダンボールベッドとして大活躍します。「自治体必見!避難所で大活躍のダンボールベッドが絶対に必要なワケ(2018年8月)」で詳しくご紹介していますので、ぜひご覧ください。
シルクハットの汗止めとして誕生したダンボール、その利便性の良さが重宝され、わずか百数十年の間に世界へと広がっていきました。限られた自然資源の中で、リサイクル可能なダンボールはこれからも各地で利用されていくと思われます。今回のように歴史を振り返ることで、進化し続けてきたダンボールに対し、さらに親しみが湧いてくることでしょう。